(本文は、論文コンペティション2022秋へ寄稿した作品です。)
「どうでもいいことに関する論文を書いて」と頼まれた私がまず思ったことは、論文にテーマを設けるのはナンセンスであるということと、"どうでもいいこと"の定義があいまいでムズいということ。 前者に関しては、主催が決めたことなのでどうすることもできない。 後者の”どうでもいいこと”の指す意味としては、大きく二つに分けられると考えた。 一つ目は、世間一般にどうでもいいとされていること。 二つ目は、個人的にどうでもいいこと。 今回、私は本文を書くに当たって、「個人的にどうでもいいこと」を採用することにした。 また、論文として書ける内容ではない為、小論文(まがいの鬱陶しいエッセイ)として書くことにした。
私は、自分にとってはどうでもいい他人の問題に振り回される傾向があり、それが地味にストレスである。 そこで、「私はなぜどうでもいいことに振り回されるのか」という、読者視点からしてもいかにも"どうでもいい"問いを掘り下げることにした。
はじめに、過去に実際にあった、どうでもいいことで振り回された具体例をいくつか挙げて、分析していく。
①他者の恋愛相談 ②他者の人間関係のトラブル ③他者の私用の手伝い ④他者との小競り合い(「言った vs 言ってない」「やった vs やってない」等) ➄TPO・普通を意識すること
他者同士の恋愛のいざこざなど、私には関係ないことである。よって、どうでもいいことである。 これを延々と聞かされるのは、ウザみの極みである。 延々とグダグダを聞かせるタイプの人達は、終わっている人達である。 彼らは「(彼氏または彼女から)酷いことされたけど嫌われたくないの…」という、救いようのない矛盾を抱えている。 同じトラブルを繰り返しながらも頑なに別れようとしない彼らは、きっと記憶障害でもあるのだろう。 しんどい時だけ人にすがり付き、愚痴りたいだけなのだ。 こちらが事情を理解する為に質問をすると、不都合があるのか、決して詳細を語らない。 緊急の要件と称してたびたび人のことを拘束しておきながら、それに対する礼や経過報告をしない。 極めて自己中なのである。 彼らは頻繁に周囲の人間を頼るので、二人の関係が不安定であるのは周知の事実だが、体裁ばかり整えようと無駄な努力を続けているのである。 実に滑稽である。 プライドが高いと言えば聞こえは良いが、実際は自意識過剰の臆病者でしかない。 人の意見を聞かず、やることなすことズレまくっていて痛々しく、見ているこっちが凍える思いをするのである。 関われば関わるほど、恩知らずなことばかりしてくるので非常に胸糞悪いのである。 ただの粗大ゴミを、王子様ないし女神と崇めてしまう魔法にかかった馬鹿どもには付ける薬がないので、相手にするだけ時間の無駄である。
これもまた、他者同士のいざこざである為、私には関係がない。よって、どうでもいいことである。 いざこざの内容は、たいてい当事者たちによって都合よく"編集"されているか、又聞きの又聞きのような情報ばかりの為、なんの信憑性もなく、白黒つけるのが困難である。 証拠が不十分で結局どちらにも味方できないのだが、「ほんのちょっと」話を聞いただけでどちらかの肩を持たないといけないという謎の票集めに強制参加させられる。あの異様な空気が無理なのである。 強制参加させておきながらも、議論の熱が冷めてきたところで、誰のことも裁かずにお茶を濁して解散しやがるのである。 一体、なんの茶番なのか。ふざけやがって。 こちらは、醜い罵り合いを見物することが唯一の参加目的であるというのに、票集めに熱中するばかりで、己の拳で殴り合うこともせず、自分たちで卒論を出すことすらできない依存的な彼らには人として何の魅力もなく、しょうもないのである。 責任転嫁して不平不満を垂れ流すだけの、尻切れトンボである。 実にクソであり、相手にする時間が無駄である。
他者の私用である為、私には関係がない。よって、どうでもいいことである。 はっきり言ってしまえば、見返りなしに手伝う義理などないのである。 本来、当事者が「自力でやるべき」ことなので、私には手伝った労力に見合う謝礼を受ける権利があるはずだが、そんなことを堂々と主張すれば"器の小さい人" "恩着せがましい人"という無用なレッテルを貼られる恐れがある為、出方に気を付けなければならない。 なんなら、タダで手伝ってもらいたいのが向こうの下心であり、それが気色悪いのである。 この場合は事前に何かしらの交換条件を結んでおくのが無難である。 しかし、咄嗟に二つ返事で引き受けてしまった場合には、かなり歯痒いものがある。